旅の楽しみは遺跡や文化だけに限りません。 その地での人との交流は旅の最も大切なものかもしれません。 今まで40カ国以上を旅し、年3ヶ月は世界を巡っている私にとっても トルコでの出会いは忘れることの出来ない思い出となっています。 その出会いの発端がARGEUSというカッパドキアの旅行会社でした。 インターネットでアメリカ人の集まる旅サークルの仲間から どこか良い旅行会社はないだろうかと相談したところ、10人中8人までが このARGEUSという会社を推薦して来ました。 遠い地であるトルコの情報集めで これだけの人が推薦する会社は珍しいことです。 早速 E-メールで連絡を取ると 非常に丁寧なメールが返信され、旅の準備が始まりました。 カッパドキアにありながらイスタンブールのアレンジまで全て任せたのですが、今考えてもお願いしてよかったと思っています。 ホテルや送迎、観光のアレンジは確かに旅行会社の役目かもしれません。 ただカッパドキア滞在中 我々仲間のご夫人が誕生日を迎えられたのですが、ARGEUSはレストランのアレンジや誕生パーティーの演出、シャンペンのプレゼントまでしてくれました。 ガイドだったザフェル君だけでなく、会社の方まで参加してくれ、ご婦人は感激で涙していました。 イスタンブールでの観光も 日本語の達者なトルコ人ガイドを斡旋してくれ大変満足のいくものでした。 最終日 そのガイドと奥様も招待して みんなで中華料理を食べに行くことになったのですが、 支払い時には そのガイドが全て支払いたいと言い出したのです。 3日間のガイド代に匹敵する額になってしまうのにも限らずです。 理由は はるか遠方の日本から震災後のまだ日も経っていないトルコを訪れてくれた感謝の意だそうです。 勿論 彼の好意は気持ちだけ受け取って我々が支払いました。 ただ 異国の地でこれほど大事に迎えられたことに参加者全員感激をしていました。 旅の楽しみは人との交流、そんな思いを強く感じさせてくれたのがARGEUS旅行会社でした。

Takayoshi KUROKAWA
T&T TRAVEL 2000 - HAWAII
 
 
Urgup has far too many travel agencies which are competing for too little business. Most are clustered around the otogar and several are staffed by seriously unpleasant young men. Argeus Tours can help with bicycling, walking and riding holidays as well as with day tours, airport transfer and flights.

LONELY PLANET 1999
 
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トルコについて


トルコ (1071 年以降)

「トルコ」という名前は、中東の 2 つのイスラム教徒群を指す。この 2 つとは、最初に現れたセルジューク人と、その後のオスマン人である。セルジューク人はカスピ海付近のステップを発祥の地とする遊牧民で、10 世紀頃にイスラム教に改宗した。約 7 万人のセルジューク人が、傭兵としてバグダードのカリフが擁するイスラム軍の兵卒となった。セルジューク人の傭兵はイスラム教の スンニー派 に改宗した。 1055 年、セルジューク人はバグダードのカリフの背後で実権を握るようになり、支配を拡大し始めた。彼らの指導者は、「権力を持つ者」 ( イスラム教国の君主 )を意味するスルタンの称号を得た。1100 年頃には、セルジュークトルコはアナトリアの大部分 (ビザンティンから奪った)、パレスチナ、ペルシア湾の沿岸地帯、アラビア各地の聖都、そして遠く東のサマルカンドまでを支配していた。

1071 年、セルジュークトルコは、現在のトルコのマンジケルトでビザンティン軍に対して驚くべき勝利を収め、アナトリアの大部分を占領するに至った。ほぼ同時期、セルジュークはエジプトのイスラム教国ファーティマ朝からエルサレムを奪うことに成功した。これら 2 つの出来事は、ビザンティン人、教皇、ヨーロッパのキリスト教諸国に衝撃を与え、以後 200 年間にわたって続くことになる十字軍の発端となった。

セルジュークトルコは、最終的にはパレスチナの支配権を取り戻したものの、十字軍との度重なる戦争によって疲弊し、各地の地方政権に分裂したあげく、イラクのセルジューク朝は 1194 年に消滅した。イスラム教の異端宗派、アサシン派の活動にも脅かされた西アジア一帯では、当時流行していたスーフィズム神秘主義の教えに従って、全イスラム教徒が内省の期間に入った。心身ともに消耗したこの時期に、突然モンゴルの攻撃を受け、1258 年にバグダードがモンゴルの手に落ち、アラブの宗主国アッバース朝も消滅してしまった。

アナトリア (小アジアの一部で、現在のトルコ) のイスラム教徒は 14 世紀初期にスルタンのオスマンⅠ世のもとで統一され、その名を讃えてオスマン トルコの名が使われるようになった。オスマン トルコは崩壊寸前のビザンティン帝国に対する聖戦を誓い、コンスタンティノープル方面への遠征を開始して、バルカン諸国に入った。1389 年にセルビアを破り、1396 年にはブルガリア北辺のニコポリスの戦いでバルカン諸国の「十字軍」とフランス・ドイツの連合軍を撃退した。オスマン トルコの快進撃はティムールに率いられたモンゴル軍団によって一時的に阻止されたが (1402 年)、ティムールは侵略の矛先を他へ転じ、オスマン トルコは復活した。

スルタン メフメトⅡ世 (「征服王」) は、1453 年 5 月 29 日、ついにコンスタンティノープルを占拠した。コンスタンティノープルの無敵の城壁は、70 丁の大砲による 8 週間の攻撃で砕かれ、そこから侵入した 1 万 5,000 人のイュニチェリ (オスマン トルコ軍の精鋭部隊) が襲撃を行ってこれを陥落した。

オスマン トルコは、コンスタンティノープルの陥落の後ヨーロッパに侵攻し、いわゆる「逆十字軍」を仕掛けたが、1456 年にハンガリー軍によってベオグラードで阻止された。1529 年、オスマン トルコはウィーンを包囲して神聖ローマ帝国に圧力をかけたが撃退され、1683 年にも再び撃退された。オスマン トルコ帝国は、16 世紀の最盛期には北はハンガリーのブダペストから黒海北岸のオデッサにまで達し、ギリシア全体とバルカン諸国、黒海沿岸、小アジア、レバント地方、アラビア、エジプト、そして北アフリカの大部分にまたがる大国となった。オスマントルコ帝国は、20 世紀の第 1次世界大戦まで世界の大国として存続した。


 

トルコ詳細情報



国 名
トルコ共和国。
首 都
アンカラ人口375万人で、1923年トルコ共和国成立時にイスタンブールから遷都。
国 土
総面積81万4578平方km。
97%アジア大陸、残り3%がヨーロッパ大陸に属しており、アジア側はアナトリア(小アジア)、ヨーロッパ側はトラキアと呼ばれています。
人 口
約7150万人。
民 族
トルコ民族が80%、クルド民族が16%、その他ユダヤ人、アルメニア人、アラブ人、ザザ人など70以上の少数民族が居住しているといわれています。
言 語
公用語はトルコ語/クルド語(ウラル・アルタイ語系)。
宗 教
99%がイスラム教徒でスンニ派が主流。近隣のアラブ諸国と比較して戒律は厳しくなく、宗教の自由が保障されているため、キリスト教徒、ユダヤ教徒なども居住しています。
時 差
冬(10月25日~3月28日)=-7時間(日本が正午の場合、トルコは午前5時)
夏(3月29日~10月24日)=-6時間(日本が正午の場合、トルコは午前6時)
※冬・夏の期間はその年によって違いますののでお気をつけ下さい。
通 貨
通貨単位はトルコ・リラ(TL)※レートは変動が激しいので、要確認。
電 気
電圧は220ボルト、50ヘルツ。
査 証
要。
気 候
地域による差が激しく、エーゲ海、地中海沿岸は温暖な地中海性気候、黒海沿岸は降雨量が多く温暖な海洋性気候、東部は寒暖の差が激しい大陸性気候、東南部は降雨量の少ないステップ気候に大きく分かれています。


 

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